2008年10月から佐賀県唐津市の山瀬で山小屋と雑木林づくりを始め、週に2~3日の割合で 山の暮らしを続ける。木造平屋建ての小屋(ロフトつき)の建築日記は隠し部屋③http://hooraibo.blogspot.com/p/blog-page_29.htmlで。

雑木の庭づくりは隠し部屋④

時は流れ   影は消えて  今はむかし  色もあせて  さてぞいまや  知らぬそぶり  だからわたし  こころわびて.................すべて空  空  空こそすべて  あやまちは今  知らぬそぶり  行き交う雲  風はやまず  煙たなびき  空はうつろ.......................................... 風はやまず  ちぎれる雲  露は落ちて  空はうつろい  待つ人はなく................................時は満ちて  あふれる涙  寄せては返し  落ちて砕ける  水は澄めども  明日は知れず  嘆きは深く  言葉ははかなし  霧にまぎれて  姿は見えず....................... 緑はあせて  空はうつろい  時は流れ  消える涙  ◆<朝日新聞ニュース>60億キロの宇宙の旅から6月に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の開発チームに、佐賀県嬉野市の創業142年の老舗・井手酒造から同社自慢の酒「虎之児(とらのこ)」が贈られてきた。7年前、「はやぶさ」打ち上げ準備中の開発チームが井手酒造に「『虎之児』のラベルを『はやぶさ』の飛翔実験計画書の表紙に使いたい」と依頼したのが縁。回収したカプセルでもって、チームは狙い通りに虎児を得ることができたのか、どうか。..................けまるけまるこ ひらめのこ うらうらと 照れる春日に雲雀あがり 心かなしもひとりし思へば

2010年4月2日金曜日

山瀬といふ所



 山瀬という所は不思議な土地である。標高500メートル前後の山間部。もともと約20年前まで20~30軒の集落があったが、「不便だから」「行政サービスが届きにくいから」などとという理由で行政側の説得で山のふもとに集団移転してしまった。いまどきの限界集落ではなく、限界を超えて消滅してしまった集落だ。したがって山瀬という区も、町内会などの自治組織もない。農業組合も、水利組合も、何もない。ごみ収集車は来ない。バスも来ない。水道はない。一部に水田や農家は残っているが、すべて無人で、昼間ときどき、山のふもとから耕作に上がってくる程度。本当に住んでいるのはそば屋「狐狸庵」の夫婦と最近移住した1組の夫婦だけである。

 こんな素晴らしい自然の暮らしを捨てて、なんで集団移転? いまだに謎である。


これは「狐狸庵」
白のむく犬は「権兵衛さん」


 



 山瀬では独特の陶土が取れることから、約400年前に唐津・岸岳系の朝鮮陶工が移り住んで窯を開いたと言われている。山瀬焼の古陶はまだら釉が特長でぐい呑みなどの小物が多いが、骨董の世界では数が少ないこともあってびっくりするほどの値段で取引される。数か所に古窯跡が残っている。例によって平家の落人が住みついたという伝説もある。






 集団移転後に廃校になった分校が、狐狸庵の店の近くに残っている。赤い屋根の小さな木造校舎である。取り壊されそうになっていたのを狐狸庵主人や一部有志が運動を起こして保存した。その狐狸庵の夫婦がまた変わっている。阪神淡路大震災の直後に神戸から移住してきた。その話はまた別の機会に。


 唐津に若い陶芸家の友人がいたので、「どっかええ所はない?」と相談したら「あそこはいいよ。冬はめっぽう寒いけど」と狐狸庵に連れて行ってくれたのが始まり。2008年春のことだ。狐狸庵主人の紹介で地主さんと会い、約10分で商談成立となった。不動産屋を通さずに相対取引できた。その年の秋には現地で木材刻みを始めたから、今思えば電光石火の早わざである。


 土地の売買契約、登記などの手続きは司法書士を介さず、すべて自分でやることにした。山林の所有権移転は簡単だったが、水田は農業者ではない買い手としては少し面倒な手順を踏まなければならなかった。まず所有権は今の地主さん名義のまま、農地転用許可申請を市支所の農業委員会を通じて県に行い、地主さんとの土地売買契約書には「農地転用の手続きが完了するまでの間は乙(自分)が転用の趣旨に沿って使用する権限を有し、転用完了後すみやかに所有権移転の登記をする」と定めた。

<植えて半年後の苗木たち>
 農地転用の目的は植林で、山小屋はその植林のために2間×3間の物置兼作業小屋が必要だという名目である。物置兼作業小屋は「建前」には違いないが、植林は本当で、800坪に約120本の木々を植えた。実際に山林として登記できるのは、植えた木が大きくなって農業委員会から証明書が発行されてからで、少なくとも3~4年先になるという。
 


 市の支所農業委員会には事前に何度か足を運び、担当職員と顔なじみになった。農地転用申請には地元農業委員と区長、隣接地の所有者の同意が要る。山瀬には農業委員も区長もいない。だれの印鑑でいいのか。そこからの相談で担当者とのやりとりが始まったが、お役人というのは、一所懸命に役所にお伺いをたてている姿勢を見せると、やる気を出すものだ。じっさい、申請書類を何回も書き直してやりとりしているうち、若い担当者は何となく仲間みたいな気になったのか、申請の本番では残業までして働いてくれた。書類は本庁(市役所)を通じて県に送られるので、担当者は上から突っ込まれることがないよう、自分の責任として一所懸命になる習性があるらしいのだ。


 ふもとの町中を走りまわって農業委員会の委員や区長ら4人の印鑑をとって回った。農地転用許可は2008年の7月20日に申請し、8月28日付で県の許可が出た。9月4日、町からの連絡で晴れて許可書を受け取った。

 いざ、小屋づくりにとりかかる段になって、建築確認の申請書をつくって県唐津土木事務所に持参したら、「あそこは要りません」と言われた。「えっ? 何つくってもいいの?」「そうです」だって。土地の現況図、小屋の基礎図、平面図、立面図、土台伏図、小屋伏図など、専門家もうなりそうな図面をいっぱい引いたのに。

 電気はたけみっちゃんとこのシイタケ山(小屋より350メートル上流)まで来ていた。電気設備屋さんを通じて九電に申請したら、コンクリート製の電柱を6本も立てて引いてくれた。小屋への引き込みと分電器以外は全部タダ。九電にとって元が取れるのは何年先? と逆に心配する。

 ふつう田舎暮らしを夢見た人が、実際に田舎に家を建てようとすると、取水や排水で水利権の壁にぶつかったり、農業委員会や周辺住民とのあつれき、定期的な役務め、土地の習慣などでまごつくことが多い。山瀬には区も、農協も、水利組合もないから、そんな苦労を経験しないで済んだ。

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