2008年10月から佐賀県唐津市の山瀬で山小屋と雑木林づくりを始め、週に2~3日の割合で 山の暮らしを続ける。木造平屋建ての小屋(ロフトつき)の建築日記は隠し部屋③http://hooraibo.blogspot.com/p/blog-page_29.htmlで。

雑木の庭づくりは隠し部屋④

時は流れ   影は消えて  今はむかし  色もあせて  さてぞいまや  知らぬそぶり  だからわたし  こころわびて.................すべて空  空  空こそすべて  あやまちは今  知らぬそぶり  行き交う雲  風はやまず  煙たなびき  空はうつろ.......................................... 風はやまず  ちぎれる雲  露は落ちて  空はうつろい  待つ人はなく................................時は満ちて  あふれる涙  寄せては返し  落ちて砕ける  水は澄めども  明日は知れず  嘆きは深く  言葉ははかなし  霧にまぎれて  姿は見えず....................... 緑はあせて  空はうつろい  時は流れ  消える涙  ◆<朝日新聞ニュース>60億キロの宇宙の旅から6月に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の開発チームに、佐賀県嬉野市の創業142年の老舗・井手酒造から同社自慢の酒「虎之児(とらのこ)」が贈られてきた。7年前、「はやぶさ」打ち上げ準備中の開発チームが井手酒造に「『虎之児』のラベルを『はやぶさ』の飛翔実験計画書の表紙に使いたい」と依頼したのが縁。回収したカプセルでもって、チームは狙い通りに虎児を得ることができたのか、どうか。..................けまるけまるこ ひらめのこ うらうらと 照れる春日に雲雀あがり 心かなしもひとりし思へば

2010年11月30日火曜日

秋の命は短くて

 冬が近い、っつーかもう冬になってる。秋の間に冬が進み、冬がきたと思ったら、春が同時進行している。真夏の炎暑はつい先日のように記憶しているのに。

 冬の初めに春がひそんでいる。その証拠に、どの木々にも早や新芽が出ているんだぜ。律儀なもんだ。



 春に新しい命を迎えるための最後の輝き。燃え尽きる一瞬。








ウバゆりはうら枯れて。アジサイの花はドライフラワーになって昔の栄華をしのばせる。





 ススキはススキなりに今の命を輝かせている。





 山瀬はしかし最近、にぎやかになった、ように見える。

2010年11月29日月曜日

ロック・ガーデン?

 前の渓流から石を20個ばかり運び上げて、庭の南面にロック・ガーデンらしきものを造った。大きいのは20~30キロもあるので、結構な重労働だ。
 ただし、川から石を採るのはイケナイことですよ。よい子はマネしないように。悪い大人だけですよ、やっていいのは。

 石を運ぶ前に土手に階段を築く。といっても鍬で土手を削っただけ。竹やぶも少し開いて、川へ降りやすくした。









 まだら模様がまだ目立つが、芝生も何となく落ち着いてきた。

 ロック・ガーデンの植え付け第1号。ハツユキカズラ。ほかに植え付ける苗もないので寂しいが、近くには「ずばら農法」の立派なジャガイモの葉っぱが。ほかにも色々投入、廃棄しているので、そのうち賑やかになるでしょ。

 狐狸庵にもらったムベを昨年植えて失敗している。風でちぎれ飛んでしまった。これは再挑戦。意地で同じ場所に植える。失敗は成功の母というけど、反省のない失敗は繰り返されるってか?。


 鳥の饗宴のあと。知らないうちに食べたらしい。

2010年11月27日土曜日

季節はめぐる


 ミノムシのような寝袋から抜け出してみると、今朝の山瀬は氷点下1度。一面真っ白の霜で覆われていた。
 車の窓ガラスも真っ白。別の車のフロントには、何やら地図みたいな模様。氷の国の暗号か。財宝のありかを示す地図だったりして。空から見る都市の夜景にも見える。


 昨日まで軒下に網を張って頑張っていたクモが、下に置いてあった電熱器の上に落ちて動かなくなっていた。網は跡かたもなくなっていた。

 季節のめぐり。命の変遷。








 さて、梅吉の登場である。せわしい犬である。子犬のくせにキャンキャン吠えて、じっとしていることがない。よその犬である純ちゃんにも、ちょっかいを出す。


 こちらは「健太」と純ちゃん。男同士だが、片方はもう一方を「メスだったらいいのにな」と思っている。





 雑木林の木々が葉を落とし、昼間、林の中によく冬日が入るようになって、林内は驚くほど明るくなった。
ゴザを敷いて寝たい。

2010年11月18日木曜日

今宿うおーキング

 体がなまっちゃいけないだろうと、曇天ときどき晴れの福岡の午後、一念発起して、うおーキングに出かけることにした。家を出てすぐ、トイレ(大)に行ってないことに気づく。しまった。山を歩くと必ず催す癖があるのだ。

 野〇〇のことを、山暮らしのきれいな言葉では「雉撃ち」という。催したらスコップを手に「ちょっとキジ撃ってくっから」といって藪に消える。なんで雉なのか、なんで撃つというのか、知らない。

 そんなことはどうでもいいか。催したらコンビニ、と今宿街道を西へ。九大の新天地をかすめて山に迷い込んだ所に突然「登山口」の標識があった。ただ「登山口」とあり、何ていう山かは書いてない。


 どうせ、行き当たりばったりだ。車を道端に違法駐車して200メートルほど農道を歩くと、看板があった。柑子岳(こうしだけ)? なんと駐車場もある。最初に書いといてくれよ、もう。

 そこから急角度に木の階段が上っている。よし、行くぜよーっ。




 行けども行けども急な登り。ほとんど直登で、急斜面の階段がはてしなく上へ続いている。3回休んで頂上に着いた。



 頂上からの展望。博多湾と福岡の市街地を望む。眼下に海釣り桟橋も見えた。



 「ははあ、地球温暖化が進むと、海面上昇であそこからあそこまで沈没するぞなーもし」と不穏な想像が頭をよぎる。






 ところで、なんと今日は我が輩の生誕祭である。何歳の誕生日かは言わない。下は某女性からのお祝いの花束。ちなみに、お祝い(とくに希望はありませんが、できれば現金で)は、年末まで受け付けております。

2010年11月16日火曜日

園芸家の1年

 園芸家、かっこよく片仮名で言えばガーデナーの毒に侵されつつある。





 小屋づくりの方はといえば、内装の壁はまだだし、外壁のペンキ塗りも手つかずのままだというのに。それに、ストーブの煙突のてっぺんは風に飛ばされて地面に転がったままだ。


           ◇  ◇


 カレル・チャペック「園芸家の1年」にはまってしまった。毎年毎年、天候不順に悪態をつく1月から始まって、カタログで自分の庭にない無数のものを発見して身もだえる12月まで、園芸家の生態が余すところなく暴かれている。


 いわく「(園芸家にとって)天候というものは、まったく奇妙なものだ。順調であることは決してなく、つねに、一方か他方に的をはずす。気温というのも、百年間の平均とぴったり合うことは決してない。それより五度低いか、五度高いかである。雨量も平均より十ミリ少ないか、二十ミリ多いかだ。乾きすぎ、でなければ、必ず湿りすぎである」










 いつも、庭の多年草の草むらの中から尻をにゅっと突き出している人、それがうわさの園芸家、というわけだ。










 庭の小道をどのルートで、どんな素材で造ろうか、と悩む。


 ロック・ガーデンも欲しい。どこにどれだけの大きさで造ろうか。


 野菜畑はどこにしようか、等々。


 でも、そうだ。畑山博「森の小さな方舟暮らし」にあったように、敷地のあちこちに穴を掘って野菜くずを埋めっ放しにするずぼら農法が、性に合っているかもと思ったり。



 前の川に降りる道を、あと2か所にはつくりたいものだとか。小屋の造作の方はほとんど忘れかけている昨今。



 小屋を造ったらゆったりと読書して過ごし、時には木を削ってゲージュツざんまい、という話はどこへ行った?