2011年6月25日土曜日
ヘビも色々
人が近づくとそそくさと逃げるのに、犬が相手だと攻撃してくる。
距離50センチ位か。一瞬で飛びかかる。犬の方が怖がってワンワン吠えるだけ。
あの、いかにも陰気なマムシに比べると、可愛いもんだ。
さっきと同じ、シマヘビ。 これは何ヘビ? 全身真っ黒け。
「ヒバカリ」だったら大変。噛まれたら、生きているのはその日ばかり、という猛毒の持ち主らしいから。
でも、多分シマヘビの黒化した「カラスヘビ」だな。
藪に埋もれながらアジサイが咲きだした。池のスイレンも。
ドクダミとワイルドストローベリー。
クリの花が満開。10本のクリのすべてに無数の花がついている。これが全部実ったら、クリご飯が何回炊けるだろうか。
去年はわずかに2個収穫しただけだった。
2011年6月24日金曜日
水道工事
梅雨の中休み。今回は水仕事に始まり、水仕事で終わった。
すぐにも新しい水道の敷設に取りかかるつもりだったが、既設の水道が止まっていたので、その対策の方が先。川をさかのぼって見ると、取水口がコンテナごと流されていた。
ホースを回収し、金属製のくずかご(ホームセンターで見つけた安物)を取水口にとりつけて、それでも水が出ないので、またまたホースの浣腸を狐狸庵でやって、再敷設してやっと貫通した。
それまで何回も取水口と敷地の間(約200メートル)を往復する。お陰で汗だらだら。
やっと第2水道の工事にかかる。まず、井戸をつくる。といっても、本当の井戸ではなく、見かけだけ。ホースを下から突っ込んで、水をオーバーフローさせる。
狐狸庵から貰えることになっていたホース(13ミリ)を4束つないでまだ足りず、最後は敷地内に残っていた25ミリホースにつないだ。
取水口に使う予定だったくずかごは第1水道に使ってしまったので、ハンギング用植木鉢(針金製)に麻袋をかぶせて間に合わせた。
第1水道に比べると、口径が半分だから、水量は3分の1くらいしかない。が、何とかこれも無事に開通。
我が輩の懸命の努力によって、水たまりに残っていたオタマジャクシの命も救われたのである。
帰りに寒暖計を見たら、35度Cだった。真夏じゃないか。
これは帰りの車中から。
すぐにも新しい水道の敷設に取りかかるつもりだったが、既設の水道が止まっていたので、その対策の方が先。川をさかのぼって見ると、取水口がコンテナごと流されていた。
ホースを回収し、金属製のくずかご(ホームセンターで見つけた安物)を取水口にとりつけて、それでも水が出ないので、またまたホースの浣腸を狐狸庵でやって、再敷設してやっと貫通した。
それまで何回も取水口と敷地の間(約200メートル)を往復する。お陰で汗だらだら。
やっと第2水道の工事にかかる。まず、井戸をつくる。といっても、本当の井戸ではなく、見かけだけ。ホースを下から突っ込んで、水をオーバーフローさせる。
狐狸庵から貰えることになっていたホース(13ミリ)を4束つないでまだ足りず、最後は敷地内に残っていた25ミリホースにつないだ。
取水口に使う予定だったくずかごは第1水道に使ってしまったので、ハンギング用植木鉢(針金製)に麻袋をかぶせて間に合わせた。
第1水道に比べると、口径が半分だから、水量は3分の1くらいしかない。が、何とかこれも無事に開通。
我が輩の懸命の努力によって、水たまりに残っていたオタマジャクシの命も救われたのである。
帰りに寒暖計を見たら、35度Cだった。真夏じゃないか。
これは帰りの車中から。
2011年6月11日土曜日
第二の池
2011年6月10日金曜日
2011年6月5日日曜日
おごうさんの思ひ出
山口の料亭「菜香亭」のおごうさんが亡くなった。本名・斎藤清子、93歳。
20数年前、そろそろ料亭を閉じようかというころ、親しくさせてもらった。
明治以来、井上馨、山形有朋、岸信介、佐藤栄作ほか多くの政財界の大物が出入りし、維新後の政治の舞台にもなった「菜香亭」。おごうさんはその女主人として長い間、菜香亭を切り盛りしてきた。
4日に山口市内であった葬式はしかし、質素だった。
小生の山口勤務時代におごうさん相手に聞き書きした本である。当時は山口でベストセラーになった、と聞いた。残念ながら今は絶版。
それはそれは、美人だった。若いころは。
そういう訳で、何年ぶりかに山口へ行った。
原田隆峰さん。陶芸家。この人もへこたれない。脳梗塞で倒れながら、何冊めかの本を書いた。今度は木葉天目(このはてんもく)の茶碗である。「読め」と言われて本をもらった。登り窯で木葉天目に成功した例は、この人の他に今までないのだそうだ。
これは宮島ではない。隆峰さんの窯場の近くにある池。向こう岸はゴルフ練習場。池の鳥居に向かって打つ。
で、その晩は湯田温泉で飲んだ。
記憶、ボケボケ。
瑠璃光寺・五重塔。
20数年前、そろそろ料亭を閉じようかというころ、親しくさせてもらった。
明治以来、井上馨、山形有朋、岸信介、佐藤栄作ほか多くの政財界の大物が出入りし、維新後の政治の舞台にもなった「菜香亭」。おごうさんはその女主人として長い間、菜香亭を切り盛りしてきた。
4日に山口市内であった葬式はしかし、質素だった。
小生の山口勤務時代におごうさん相手に聞き書きした本である。当時は山口でベストセラーになった、と聞いた。残念ながら今は絶版。
それはそれは、美人だった。若いころは。
そういう訳で、何年ぶりかに山口へ行った。
原田隆峰さん。陶芸家。この人もへこたれない。脳梗塞で倒れながら、何冊めかの本を書いた。今度は木葉天目(このはてんもく)の茶碗である。「読め」と言われて本をもらった。登り窯で木葉天目に成功した例は、この人の他に今までないのだそうだ。
これは宮島ではない。隆峰さんの窯場の近くにある池。向こう岸はゴルフ練習場。池の鳥居に向かって打つ。
で、その晩は湯田温泉で飲んだ。
記憶、ボケボケ。
瑠璃光寺・五重塔。
登録:
投稿 (Atom)