2008年10月から佐賀県唐津市の山瀬で山小屋と雑木林づくりを始め、週に2~3日の割合で 山の暮らしを続ける。木造平屋建ての小屋(ロフトつき)の建築日記は隠し部屋③http://hooraibo.blogspot.com/p/blog-page_29.htmlで。

雑木の庭づくりは隠し部屋④

時は流れ   影は消えて  今はむかし  色もあせて  さてぞいまや  知らぬそぶり  だからわたし  こころわびて.................すべて空  空  空こそすべて  あやまちは今  知らぬそぶり  行き交う雲  風はやまず  煙たなびき  空はうつろ.......................................... 風はやまず  ちぎれる雲  露は落ちて  空はうつろい  待つ人はなく................................時は満ちて  あふれる涙  寄せては返し  落ちて砕ける  水は澄めども  明日は知れず  嘆きは深く  言葉ははかなし  霧にまぎれて  姿は見えず....................... 緑はあせて  空はうつろい  時は流れ  消える涙  ◆<朝日新聞ニュース>60億キロの宇宙の旅から6月に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」の開発チームに、佐賀県嬉野市の創業142年の老舗・井手酒造から同社自慢の酒「虎之児(とらのこ)」が贈られてきた。7年前、「はやぶさ」打ち上げ準備中の開発チームが井手酒造に「『虎之児』のラベルを『はやぶさ』の飛翔実験計画書の表紙に使いたい」と依頼したのが縁。回収したカプセルでもって、チームは狙い通りに虎児を得ることができたのか、どうか。..................けまるけまるこ ひらめのこ うらうらと 照れる春日に雲雀あがり 心かなしもひとりし思へば

2010年1月29日金曜日

携帯は可能か



シンプルな携帯を作った。
















こっちはやや精巧な作り。

















どっちが欲しい? と聞くと、たいていの人がどっちも要らないと答える。なんでぇ? どっちみち山瀬では電波がつかめない。でも、携帯するのは可能だ。

2010年1月23日土曜日

貰いもの&拾いもの

 小屋の約3分の1は頂いたものと拾ったもので出来ている。

 土台の一部や囲炉裏の木枠に使った大きな材木は、トラック1台で運び込まれた古材で、懇意にしている産廃会社の社長から頂いた。ロフトに上がる階段や床板のコンパネ、屋根材のコンパネなどは狐狸庵からの頂きもの。囲炉裏の一角に据えた古風なだるまストーブはたけみっちゃんから。煙突は狐狸庵から。実は、トイレや便槽もたけみっちゃん紹介の建材屋の処分場から拾ってきたものだ。

盗んだ
ものでは
ありません

 現在、建造中のお風呂も、五右衛門の中古の風呂釜は狐狸庵からの貰いもの、数十個のブロックと釘がささったままの板は自宅近くの建設会社の産廃捨て場から許可を得て拾ってきた。柱や屋根は近くの山で拾ってきた杉の間伐材でつくる。屋根の一番上は小屋造りの残り物と、自宅マンションの改修工事で出た余り物の防水材を貰って間に合わせる。風呂に限って言えば、セメント(2袋で約千円)以外は砂も石も木材も、全部タダである。



 ついでに、ストーブや風呂をわかす燃料のまきも、たけみっちゃんからの貰いものだ。すでに数年分のまきが用意されている。小屋の前では毎晩、盛大な焚き火が楽しめる。CO2を空に撒き散らして地球温暖化には若干貢献しているかもしれないが、ここなら周囲を気にせず、思い切り焚き火ができる。



 焚き火は小屋の中でもできる。普段は囲炉裏では炭火を使っているが、まきを焚いてもへっちゃらである。小屋は夏向きに隙間だらけに造ってあるので、煙が充満してもすぐにきれいに出て行ってくれる。

2010年1月21日木曜日

松山おこし




失敗は成功の母というか、物事はやってみないと分からない。基礎工事も未経験だが専門家に頼む気は最初からなかった。ものの本を見ながら、予定地で水平を出す。予定地中央に水を張ったバケツを置き、透明のビニールホースを伸ばして周囲に打ち込んだ杭に印をつけていく。手製の水遣り管だ。12本の杭にバケツと同じ水位で印をつけ、次にその印に沿って平板を張り巡らした。次は水糸を張る。基礎の上端外側にぴったり沿うように水糸を引くのだが、基準となる水糸1本を引くのはいいとして、次の1本はぴったり直角でなくてはならない。大きな三角定規を作って当てるのが常識らしいが、時間がないので、ピタゴラスの定理に従いヒモで3:4:5の三角形をつくって直角を決めた。
 生コン到着の日。型枠づくりはこれからだ。生コンの到着を型枠づくりの前に決めたのは失敗だった。午前6時すぎに起き出し、さっそく7時から作業開始。冷え込みが厳しい。昼前に型枠をきっちり作って、鉄筋を入れておかねばならない。コンパネ15枚を切断して、外枠を溝に仮置きしたところですでに午前10時半。内枠を溝に置いて丸セパで止めたところで午前11時半。ミキサー車がやってくる時間だ。まだ型枠の体をなしておらず、生コンを流しこめる状態ではない。焦ってもしようがない。生コン車が到着しないのを幸いにマイペースで作業を進めるも、鉄筋を入れることなどとうに諦めてしまった。
 何とか型枠が形になったかなと思った午後1時、ミキサー車が来た。その後の作業は思い出したくないほどつらかった。


 一輪車をミキサー車の後ろに差し出すと、生コンがどっと出てきて一輪車がどぶどぶの生コンで満杯になる。すると、あまりの重さに一輪車は両の手で支え切れなくなる。まして、これを引いたり押したりは生れてこのかた経験したことのない重労働だ。運転手は見かねて脇から一輪車を支えたり、2杯目からは生コンの量を半分に減らしてくれたりした。それを型枠のそばに運び、スコップで型枠の中に入れるのだが、いつまで経ってもはかどらない。運転手はそばにあった竹の棒を拾って入れた生コンを突いてもくれる。しかし、このペースだと1日たっても終わらないと考え、運転手をきりもない作業で手伝わせるのも気の毒になって「この辺りにぶちまけてくれたら、ゆっくりやるから」と言ってミキサー車を帰した。運転手は「夏場はもっと短いけど、今だったら半日は大丈夫だから」と言い残して帰って行った。


その後は一人で辺りが真っ暗になる午後7時まで作業した。ぶちまけた生コンの山は3つだったが、うち2つはウンコ溜まりみたいで、ほとんどそのまま固まってしまった。





 1週間後、生コンを流し込んだ基礎をよくよく見るとかなり歪んでいた。ひどい所では基礎の西面で水糸から15センチもずれている。一輪車で生コンを運んでいる時つまずいて倒れかかり、型枠を壊したところだ。手直しのためブロック30個を購入し、愛車ステップワゴンに満載してそろりそろりと山瀬へ走らせた。川からバケツ3杯の砂を取ってきてセメントと混ぜてモルタルを作った。要所にブロックを積みモルタルを置いて高さを調整した。なるほど、基礎づくりは素人が手を出すべきでないことがはっきりした。まして、ひとりでやるのは無理だ。


後日、Tさんは基礎のコンクリートを見て「松山おこし」と揶揄した。


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新年会



 2日続きで新年会と称してしこたま飲んでしまった。18日夜と19日昼は狐狸庵で。19日夜は小屋で。19日の日中はいったん緩みかけていた池の氷が、20日朝、再び厚さ3㎝ほどにびっしりと白く張っていた。午前8時で零下1度。ところが、その日の昼間はなま暖かい南風が吹き荒れてなんと気温14度。大寒というのに、どうなんてんの? 


  

       
        
 冬は寒い方がいい。

2010年1月16日土曜日

動物たち


                      わが友、純ちゃん



1週間に2~3日、キャンプしながら地味な刻み作業を続けている時、冷え込む夜の友は、焚き火と月桂冠紙パックだ。時々、純ちゃんが訪ねてくる。純ちゃんは人見知りする犬で、というよりめちゃくちゃ人嫌いで、最初はなかなかそばに寄ってこない。やっと体に手を触れさせてくれるようになったのは、初対面から数カ月後だった。






 珍客もある。ある夜テントで寝ていると、枕の下かその周辺で何かがごそごそと動いて目が覚めた。何事かと飛び起き、枕をたたいたりして点検したが分からない。しばらくすると、また耳元でがさごそ。間違いなく何かいる。そのうち寝入ってしまったが、今度は背中の下、肩のあたりで比較的軟らかいものが動き、あまりの肉感的な触覚で飛び上がってしまった。テントの布地をへだてて姿は見えないが、モグラだ。モグラに違いない。テントの下を掘って進み、吾輩の体の下に浮上してきたのだった。人をびっくりさせた懲らしめに寝床をあたり構わずドンドンとたたいてやったら、おとなしくなった。

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 山瀬で会った動物。ウサギ、テン、ノネズミ、ウリボウ、ヤマバト、カワガラス、カワセミ、キジ、ヤマドリ、まむし、アオダイショウ、小鳥は多数、トンボ、チョウ、カマキリなど多数、サワガニ、ハヤ、イモリ。後日、車を走らせて麓へ下っているとタヌキが1匹道に出てきて車の前を数十メートル走って逃げた。丸々と太った毛並みのいい奴。その話を狐狸庵の主人にしたら、それはアナグマだという。この辺のタヌキは伝染性の皮膚病かなにかで絶えてしまったのだという。アナグマは敷地の近くでも見た。人を怖がる気配がない。
 県道をはさんだ向かいの藪では夕方になると、イノシシが猛烈な勢いで走り回ることがある。ゴーゴー唸るような鼻息で、ちらっと見える姿はびっくりするほどでかくて、太い首の後ろには立派なたてがみが天を衝いて猛々しい。

2010年1月15日金曜日

テント暮らし


 約8カ月間の小屋づくりの作業を支えてくれたのは正直、2張りのテントである。それと月桂冠紙パックか? 月桂冠はともかくテントがなければ冬場の作業は無理だった。週2~3日とはいえ天気のいい日ばかりを選んで泊りこんでいたわけではない。12月中旬から2月末まではほとんど毎朝、氷点下。朝なにもかもコチコチに凍りついていて、テントのチャックが凍ってしばらく開けられないこともあった。

 それでもテントに入ってしばらくすると、中はほかほか。3シーズン3人用(実際には1人でちょうど)のモンベル社製で、これも3シーズン用の寝袋に入ると、昼間の寒さや重労働もなんのその、そこはもう天国なのであります。外で飯つくるのも出来ないときはテントの中で調理もできる。
 やっかいだったのは、おしっこが近くて何度もテントを出なきゃいけなかったこと。最初のうちは外でやっていたが、そのうちポリ容器の頭をナイフで切り捨てて、そこにおしっこをしてテントの袖口から外に捨てることにしたら、ずいぶん楽になった。なにせ年食うとおしっこが近くなるのはどうしても避けられないことなのだ。

 そのテントがずっと張りっぱなしだったにもかかわらず、5月に小屋が半完成してお役御免になるまで、へこたれなかった。道具用のテントは12月には強風に吹かれたか、イノシシにやられたか、ポールが折れて破れてしまった。でも黄色のテントはなんともなかった。この後、お世話になった人にプレゼントしたが、小屋つくる前から数十年の付き合いだったから正直、わが身を切られるような思いだった。

小屋づくり工程



頼んでおいた木材が届いた。3寸5分角の構造材40本余りと間柱、たる木、根太など。
(2008年10月9日)

刻みに入る。長い地道な作業が続く。
(2008年10月14日)

基礎工事は大変だった。素人が手を出すべきでないと後でわかった。
(2008年11月20日)


土台を組んだ。刻みが正確だったかどうか、最初に試される時だ。
(2008年12月11日)



棟上げは仲間の手を借りた。思った以上にうまく運んだが、数か所に刻みの間違いが発覚した。
(2009年1月23日)


間柱を建て、筋交いを入れ、窓と出入り口の扉をはめた。
(2009年3月5日)

壁張りは結構時間を食った。
(2009年3月23日)

下屋を組んで、波板を張った。
(2009年6月15日)


梅雨が明けたころ、だいぶ小屋らしくなってきた。
(2009年7月20日)























内部の様子。階段(左)でロフトにあがる。


完成といえるのか、どうか。次の作業を考える日々。
(2009年8月)

五右衛門風呂


 かねて所望していたドラム缶を、さっそくKさんが届けてくれた。JRからせしめたものらしく、中もきれいでしっかりしている。底の部分と焚口、煙突穴、排水口を切断した。ものすごい火花が出るが、へっちゃらだ。これを深さ30センチほどの穴を掘って焚口が地面にくるように埋め込んだ。その上に五右衛門の風呂釜を乗せる。五右衛門は狐狸庵からいただいた。今時こんなものを持っている人は少ないと思う。



 
 風呂釜を乗せ、その周りをブロックとモルタルで固めた。万が一ドラム缶が腐ってつぶれても、風呂釜はブロックに支えられて下がらないし、傾かない構造。さらに、五右衛門からあふれたお湯が風呂釜のふちを伝って隣の浴槽に流れ込む仕組みである。




 五右衛門と隣の浴槽の間には、渓流の小さな滝のような流れを模して石を組んだ。五右衛門からオーバーフローしたお湯が浴槽に流れ落ちて、どっちの風呂も楽しめる。問題は水を張るのと、沸かすのに、どのくらいの時間がかかるか、それが気がかり。





 しかし、試してみた限り、五右衛門風呂だけだと水をはるのに10分少々、適温になるまで30分も焚けば十分とわかった。お湯をオーバーフローさせながら隣の浴槽までお湯を満杯にするには、さらに30分ぐらいか。


 ついでに、洗い場用のデッキを廃材で仕上げた。この後、山で拾い集めた間伐材の杉丸太で柱や屋根をこしらえ、半露天の風呂にする計画である。