小屋づくりの方はといえば、内装の壁はまだだし、外壁のペンキ塗りも手つかずのままだというのに。それに、ストーブの煙突のてっぺんは風に飛ばされて地面に転がったままだ。
◇ ◇
カレル・チャペック「園芸家の1年」にはまってしまった。毎年毎年、天候不順に悪態をつく1月から始まって、カタログで自分の庭にない無数のものを発見して身もだえる12月まで、園芸家の生態が余すところなく暴かれている。
いわく「(園芸家にとって)天候というものは、まったく奇妙なものだ。順調であることは決してなく、つねに、一方か他方に的をはずす。気温というのも、百年間の平均とぴったり合うことは決してない。それより五度低いか、五度高いかである。雨量も平均より十ミリ少ないか、二十ミリ多いかだ。乾きすぎ、でなければ、必ず湿りすぎである」
いつも、庭の多年草の草むらの中から尻をにゅっと突き出している人、それがうわさの園芸家、というわけだ。
庭の小道をどのルートで、どんな素材で造ろうか、と悩む。
ロック・ガーデンも欲しい。どこにどれだけの大きさで造ろうか。
野菜畑はどこにしようか、等々。
でも、そうだ。畑山博「森の小さな方舟暮らし」にあったように、敷地のあちこちに穴を掘って野菜くずを埋めっ放しにするずぼら農法が、性に合っているかもと思ったり。
前の川に降りる道を、あと2か所にはつくりたいものだとか。小屋の造作の方はほとんど忘れかけている昨今。
小屋を造ったらゆったりと読書して過ごし、時には木を削ってゲージュツざんまい、という話はどこへ行った?
0 件のコメント:
コメントを投稿