山瀬という所は不思議な土地である。標高500メートル前後の山間部。もともと約20年前まで20~30軒の集落があったが、「不便だから」「行政サービスが届きにくいから」などとという理由で行政側の説得で山のふもとに集団移転してしまった。いまどきの限界集落ではなく、限界を超えて消滅してしまった集落だ。したがって山瀬という区も、町内会などの自治組織もない。農業組合も、水利組合も、何もない。ごみ収集車は来ない。バスも来ない。水道はない。一部に水田や農家は残っているが、すべて無人で、昼間ときどき、山のふもとから耕作に上がってくる程度。本当に住んでいるのはそば屋「狐狸庵」の夫婦と最近移住した1組の夫婦だけである。
こんな素晴らしい自然の暮らしを捨てて、なんで集団移転? いまだに謎である。
これは「狐狸庵」
白のむく犬は「権兵衛さん」

山瀬では独特の陶土が取れることから、約400年前に唐津・岸岳系の朝鮮陶工が移り住んで窯を開いたと言われている。山瀬焼の古陶はまだら釉が特長でぐい呑みなどの小物が多いが、骨董の世界では数が少ないこともあってびっくりするほどの値段で取引される。数か所に古窯跡が残っている。例によって平家の落人が住みついたという伝説もある。

集団移転後に廃校になった分校が、狐狸庵の店の近くに残っている。赤い屋根の小さな木造校舎である。取り壊されそうになっていたのを狐狸庵主人や一部有志が運動を起こして保存した。その狐狸庵の夫婦がまた変わっている。阪神淡路大震災の直後に神戸から移住してきた。その話はまた別の機会に。
唐津に若い陶芸家の友人がいたので、「どっかええ所はない?」と相談したら「あそこはいいよ。冬はめっぽう寒いけど」と狐狸庵に連れて行ってくれたのが始まり。2008年春のことだ。狐狸庵主人の紹介で地主さんと会い、約10分で商談成立となった。不動産屋を通さずに相対取引できた。その年の秋には現地で木材刻みを始めたから、今思えば電光石火の早わざである。
<植えて半年後の苗木たち>
市の支所農業委員会には事前に何度か足を運び、担当職員と顔なじみになった。農地転用申請には地元農業委員と区長、隣接地の所有者の同意が要る。山瀬には農業委員も区長もいない。だれの印鑑でいいのか。そこからの相談で担当者とのやりとりが始まったが、お役人というのは、一所懸命に役所にお伺いをたてている姿勢を見せると、やる気を出すものだ。じっさい、申請書類を何回も書き直してやりとりしているうち、若い担当者は何となく仲間みたいな気になったのか、申請の本番では残業までして働いてくれた。書類は本庁(市役所)を通じて県に送られるので、担当者は上から突っ込まれることがないよう、自分の責任として一所懸命になる習性があるらしいのだ。
ふもとの町中を走りまわって農業委員会の委員や区長ら4人の印鑑をとって回った。農地転用許可は2008年の7月20日に申請し、8月28日付で県の許可が出た。9月4日、町からの連絡で晴れて許可書を受け取った。
電気はたけみっちゃんとこのシイタケ山(小屋より350メートル上流)まで来ていた。電気設備屋さんを通じて九電に申請したら、コンクリート製の電柱を6本も立てて引いてくれた。小屋への引き込みと分電器以外は全部タダ。九電にとって元が取れるのは何年先? と逆に心配する。
ふつう田舎暮らしを夢見た人が、実際に田舎に家を建てようとすると、取水や排水で水利権の壁にぶつかったり、農業委員会や周辺住民とのあつれき、定期的な役務め、土地の習慣などでまごつくことが多い。山瀬には区も、農協も、水利組合もないから、そんな苦労を経験しないで済んだ。
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